KOYORADの匠奥山浩之
1. 製造部 製造第三グループ 奥山浩之
勤続年数40年超とKOYORAD最古参のひとりであり、その経験に裏付けられた確かな溶接技術は他の技術者たちのなかでもひときわ輝きを放つ。これまでに数多くの傑作を送り出し、その“神業”とも呼ばれる技術には若手社員からも熱い視線を集める。

製造部第三グループ。ここでは主にアルミを材料とした様々な熱交換器が取り扱われ、奥山はモータースポーツのレーシングラヂエーターやクラシックカーなど、純正品が手に入らない特殊品などを中心としたラヂエーターASS’Yの製作を行う。
ラヂエーターコアが完成してから、タンクを金属の板材から成形し、アルゴン溶接にて組立て、模擬テストまでアルミのラヂエーターが形になるまでの全てを担う。

幼少期、祖父が大工だったことで大工道具が身近にある環境で育ち、それらを使い見よう見まねで手作りの遊び道具を作っていたという。この頃に、奥山の「ものづくり」に対するこだわりの礎が築かれた。
昭和45年、集団就職真っ只中の時代、15歳で江洋ラヂエーター製作所(当時)に入社。
以来、40数年の歳月を経ても、ものづくりに対するその信念は一点のかすみもなく「技術屋泣かせ」の一品モノもその技と勘で見事に作り上げる。
その技術はオールアルミラヂエーター製作では右に出る者はいない、と社内の信頼も厚い。

では、アルミを溶接する上で奥山のこだわりとは?
「溶接する時、始めと終わりとではワークの温度が違うので、状況に合わせて調節しながら仕上げなければならない。一本調子ではだめなんです。」

季節・気温などにあわせて母材の温度状態や温度のまわり方に気を遣い、条件にあわせて調整することが必要なのだ。アルゴン溶接の場合、ロウ材と母材の溶ける温度が(半田溶接に比べ)非常に近く、それだけ適正温度のレンジが狭い。そこを狙って作業をするには経験に培われた技術、そして養われた感覚がものを言う。
理想的な電圧・距離・時間―これらを設備・母材の温度など複数の変動条件の中で巧みに操り、最適な条件を感覚で導き出す。
そして熱交換器には致命的となる漏れを起こさない溶接のクォリティの高さ、さらに仕上がりの美しさをも追及する、これが奥山が「匠」と呼ばれる所以他ならない。
「ベストな仕上がりにたどり着くのに答えは1つじゃない。職人1人1人により電圧・距離・時間、それぞれの感覚で掴み、ものにする世界。これはマニュアルなどで書き表すことができるものではなく、自分で掴むものなんです」

では、製作の際、技術以外で彼自身を支えているものとは何だろうか?
「とにかく中途半端が嫌なんですよ」
求められるものを製品化する為に構想を練る時間がたとえ限られた短納期の受注でも、その培われた技術で点と点、面と面をつなぎ、一つの製品を形作り、その結果寸分の狂いもない完成された製品をお客様に提供する。
そこには妥協の二文字はない。「まあいいか」という出来の仕事は身上としてできないという。
「それだけにお客様に感謝の言葉をいただいた時は、疲れもふっとびますよ」

定番品としてもはや手に入らない製品の復元を求めるお客様に「予想以上の綺麗な仕上がり」と喜びの言葉を言われた時が冥利に尽きるという。
数ある苦心の作、会心の作の1つに日産フェアレディZ432のラヂエーター復元をあげる。

若かりし頃、奥山は大きな仕事を命じられた。
それは博物館に展示するクラシックカーのラヂエーター復元――見た目の復元だけでなく、実際に走行可能なクラシックカーゆえ、熱交換器としての性能も求められるものだった。
持っている技術とノウハウを余すところなくつぎ込むも、性能面で支障なく、かつ美麗な完成品を納めるまでには数々の苦労があった。
不測の漏れ発生や信頼していた業者によるメッキのはがれ・・・当初担当を命じられた際は出口が見えない不安でいっぱいだったが、一つ一つ問題を解決していくにつれ、おぼろげながらも出口の光が徐々に大きく、明るくなっていくのを確信した。
「(現在の)相談役と東京の大田区までメッキをしてもらう為に車を走らせたんです。ようやくうまくいき、さあ名古屋に戻るぞ!といった時、大雪が降りまして(笑)。東名高速で一晩を明かしたことは昨日のことのように覚えています。」

奥山の入魂の作であるクラシックカー用ラヂエーターと同じものが現在もKOYORAD本社および港工場に展示されている。

ちなみに、博物館に納品、展示されたラヂエーターは後に奥山の次女が小学校の社会見学で目の当たりにすることとなる。
「(これがお父さんの作ったラヂエーターか、と)立ち尽くしてしまい、見ている間に集団においていかれ迷子になってしまったそうです(笑)。」
普段は眼光鋭い奥山も、わが子の話になると目尻が下がる。



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